Credit
WRITER:DAG FORCE
#2.
Research Trip
2017
NN調査旅行紀行 Portland編Vol.2
「全米で移住したい都市NO.1」のポートランド。
米国オレゴン州にある一都市が、なぜこれほどまでに世界の注目を集めているのか。
文化・教育・経済・農工業からハイテク産業まで、様々な分野において世界を刺激し牽引する不思議な田舎町。60万人が賢く、楽しく、ヘンテコに生きるこの街には、どんな秘密が隠されているのか?! 百聞は一見に如かず!ということで、NNメンバーみんなでいざポートランドへ行ってきました!
全3部構成される本ポートランド・レポートの第2弾の今回は、ポートランドの都市計画ついてのお話。
〜Portlandの都市計画〜
ポートランド市の人口は横浜・広島と同規模の60万人。周辺地域で形成される「メトロ」は、230万人の人口がある米西海岸中規模都市です。コロンビア川とウィラメット川の合流地点に発展した内陸港湾都市で、物資の集散地、農産物の積み出し地として発展した後、シリコンバレーの影響で、ICなどの先端産業も発達し、シリコンフォレストなどと呼ばれる産業都市へと発展してきました。1960年代後半までは、他の都市と同じく、都市部はオフィスゲットー化していましたが、1972年からの都市再生計画、ダウンタウンリニューアルプランによって、生まれ変わりました。
トランジットモール計画によって、車依存の都市から脱却。車道を縮小し歩道を広げ、バス専用レーンやMAXと呼ばれるライトレールや路面電車、自転車専用レーンを設置。公共交通システムの充実とサイクリストの推奨によって、市内の渋滞は緩和し、人々のコミュニケーションが増え、CO2の削減にも繋がりました。ウィラメット川沿いにあった6車線のフリーウェイも廃止され、市民のための6万坪以上のオープンスペースが確保されました。
公園・広場の整備から、建築デザインの審査、街路の整備など、それぞれの区域における、非常に細かい部分の都市計画についても、積極的に市民の声を取り入れる機会を作り、ディスカッションを重ね、都市計画を作っていきました。それまでのポートランド市の都市計画には、「街」と同じように「市民」も計画の一部とされていましたが、1972年に始まった都市計画では、まさに市民を主人公にした計画が実現したのです。実際に、このような試みが初めてだったこともありましたが、計画を練るためだけに5年の歳月と膨大な予算が割かれました。
ちなみに、この前代未聞の都市計画を推し進めたニール・ゴールドシュミット市長は、当時なんと32歳の若さ。
市民のためにたてられた都市計画は、綿密なディスカッション・ドラフトと検証、修正案を繰り返しながら計画され、その後20年にわたる開発によって、全米一の街、世界が最も注目する地方都市となったのです。
〜コンパクトシティ〜
縦横の道で区切られた1ブロック(1街区)のサイズが、約60×60メートルと通常の半分ほどのサイズになっているため一区画ずつの面積が小さく、割り当てられるビルのフロア面積もコンパクトになります。また角地が増えることによって、個々の不動産価値を高めることができるため、各フロアにかかる賃料負担も軽減される傾向にあるそうです。また、ストアーフロントと呼ばれる1階の路面部分は、ビルの新築や50%以上の改修をする際に、必ず店舗を誘致してショーウィンドウなどにしなければならない、といった決まりになっています。このコンパクトなブロック設備とストアーフロント施策によって、多くの新規事業者が出店するチャンスを得ることができるため、街には多種多様な人々がにぎわい、地域経済や文化の活性化にもつながっているのです。
ポートランドは事業税も安く、消費税に至ってはゼロ。
市の財政は厳しいと言われますが、1970年代に始まったサスティナブルな都市計画の結果、多様な文化が育まれ、市民も生活しやすく、若い起業家がチャンスを掴みやすい土壌ができています。そのおかげで、経済も食料や資材も地産地消のエコなサイクルができているのです。
〜Portland サクセス〜
さて、ポートランドの料理人を目指す若者には、一つのサクセスストーリーが存在します。
若き料理人は、まずフードカートで飲食業を始めます。
ポートランドの街中では、1ブロックを丸々使った「フードカートポッド」と呼ばれる露天屋台が集まるエリアが設けられており、市民はそこで手軽に様々な国の食文化や料理を楽しむことができます。フードカートの数は600軒以上にもなるそうですが、この中で人気を博すことができると、次は一つの建物の中で様々な飲食業が味を競う「マイクロレストラン」で勝負をします。そこで評判を集め、リピーター客の獲得に成功して、ついにレストランのオーナーシェフとなるのです。殆どの有名店は、このサクセスストーリーを駆け上がって成功していきます。この成功は、都市計画、エコな経済システム、ローカルファーストな意識などが密接に絡み合って出来た非常に合理的で、ロマンのあるシステムだと感じました。
実際、ポートランド発のレストランがNYやロサンゼルスなどの大都市に続々出店しているのです。
私たちは、ポートランドの最後の夜、ダウンタウンにあるSuper Biteというレストランで食事をしました。ここは、上記のサクセスストーリーによって人気を博す創作フレンチレストランです。オーナー含め、スタッフは皆若く、店内はとてもお洒落で、落ち着いたBlack Musicが流れていました。ディナーのスタンダードコースは50ドルほどと手頃なのですが、味も非常に美味しく、大満足の内容でした。
アメリカでは、日本人が美味しい!と感じる「料理」を食べるためには、とても高いお金を払う必要があります。しかし、ポートランドでは、近隣の新鮮な食材、税制の優遇や、上述したレストランのサクセスストーリーによって、味やセンス、サービスなどの内容も研磨され、日本のように非常にレベルの高い食体験を得ることができます。これは飲食に限ったことではなく、様々な文化において、同じようなことが起きています。それは、1970年代に始まった「ダウンタウンリニューアルプラン」という、サスティナブルな都市計画の成果といえるでしょう。
20年以上に渡る都市計画の実行により、市民の意識は変化し、自分たちの家のような、愛される街となったのだと思います。結果、移住したい都市、住みやすい都市として、全米1位の座を誇り、環境業、IT・先端産業、飲食業、農業・工業においても順調に経済が回っているようです。この成功例には、世界中が注目しています。
〜自由な国で、最も自由な街〜
システムと言ってしまえばとても硬い印象を感じてしまいますが、上記の都市計画の裏側にも表側にも、各産業で活躍する市民が参加し積極的に街を作っています。そして、若い世代をサポートし、夢と希望のあるまちづくりを実現しているのです。そんな、細かいことを一切知らなくても、心の底から楽しめる旅でした。しかし、一歩奥へ踏み込んでみると、とても深く複雑かつシンプルな都市設計がありました。
全米一住みやすい街、全米一ストリップ店が多く、大麻も合法で、全米一の露天屋台が立ち並び、世界一のピノ・ノワールが飲めて、世界に羽ばたく若者が世界中から集っていました。
まさに、自由の国で最も自由を謳歌する街、ポートランド。
そこでは、従来にはないような新しい生き方があり、つまりは新しい働き方がありました。
次回、ポートランド・レポート第3弾では、いま最も注目されている街で生きる人々、ポートランダーの「働き方」について書いていきます。
WRITER:DAG FORCE